これまでとこれから

いきなり癌のステージⅣと宣告された私の毎日

抗癌剤治療のこと②抗癌剤の変更

毎週月曜日の3時間点滴を3月いっぱい続けて、それは4月1日のことでした。

 

以前から、「今の治療(3時間点滴)は、どの癌でも誰でも出来る治療だから3ヶ月続けたら、少し休んで他の治療法も考えましょう」とか言われたので、緩めの治療だから副作用もあんまりないのかな~と呑気に考えていました。

点滴した当日(月曜日)は割と平気で、それよりも水曜とか木曜に倦怠感とか来るのが多かったです。お天気によっては火曜もしんどかったけど。

 

その時に、「かなり良い効果がでる最新治療があって、いろいろ条件はあるけど目覚ましい結果がでてるから…」と、(今のところ)大学病院でしか受けられない最新治療の話をD先生から聞いていました。「ただ、成果が出るだけに希望者が多くて、なかなか順番が回って来ない」とのことでした。じゃあ、(余命一ヶ月じゃなくなったおかげで)いろいろ試すことが出来るし、いつか順番が回って来るのを待ちますわ~。とか、またいつも通り気楽なお返事をしていたのです。

 

が、しかし!

4月1日のこの日、D先生がいきなり「例の治療法にキャンセル出たけど、受けてみる?」と言い出したのです。「治療を受けた人からは、いい結果が出てるけど、まだ新しい治療法なのでいろいろ条件がありますけど、どうですか?」と聞かれました。《何年も順番待ちしないといけない、画期的な成果が出る治療法》と言われて、それがこんなに早く受けられるなんて、恐ろしいほどの強運です。私ってそういうトコがあるんだな~(笑)

確かに、条件はいろいろあったし(治療できる癌とそうでない癌があるというのもひとつ)、強い放射線治療になるので監視カメラ付きの特別室での隔離入院であるのもそう。なんか大げさなことになってきたぞ、と思いながらも、効果が出るならその方がいいよね、と、その場で治療を受けることを同意したのです。もちろん真面目なD先生のことなので、メリットだけでなくデメリットも説明してくれましたが、「今の治療ではこの辺が限界かなと思います。しばらく数値的にも横ばいなので。このまま横ばいでも余命5年はいけますが、今の治療を中断しても今度の最新治療は受ける価値があります」とまで言い切られたので、よっしゃ頑張るで~!と決意を新たにしました(笑)

この時にD先生は、深い意味は無くおっしゃったのかもしれませんが「僕と(生存)20年を目指しましょう」と言われたので、最低でも今から20年は生きてやろうと思った次第です。←単純(笑)

そして、詳しくはまた来週…となったところでハッと気づいたのですが、この日は4月1日…エイプリルフールの日でした(笑)←いや、D先生のお茶目な冗談ではありません。本当に最新治療を受けるお話です。

結局、毎週月曜の点滴は4月いっぱいまでとなり、5月からは新しい治療に向けての準備が始まりました。

 

《つづく》

 

 

 

 

 

抗癌剤治療のこと①

さて、ステージ4の癌ということで、治療をするわけですが…。

イマドキは、胃癌とか大腸がんとかでも、発見が早ければ内視鏡で、そうでなくても外科手術で取ってしまえば割とラクに済むらしいですね。

でも残念ながら私は化学療法しか選択肢は無いと、主治医のD先生から言われたので、じゃあそうしますか~(笑)って感じで決まりました。(他に選択肢ないのに、グズグズ悩んでても時間のムダだと思って…)

そこから週に一度、点滴で抗癌剤を投与する治療が始まりました。

 

まずは午前中に採血とD先生の診察。今日の抗がん剤治療はOKですよ~というお墨付きを貰って、別の建物にある化学療法の処置室へ。そこで事前の飲み薬から点滴終了後の休憩まで込みで、約3時間の治療です。

でもね、この時間、キライじゃなかったです(笑)

 

D先生の診察後、院内コンビニか大学生協で、飲み物とお弁当(時にはオヤツも)を買って点滴室に向かいます。基本的に引きこもり生活なので、たまのコンビニ弁当とかがちょっとした楽しみだったのです~♪(私にはぜいたく品)(笑)

点滴しながらの飲食OKだったので、慣れてくると自分の点滴用シートのブースに入るなり、食べ物。飲み物を手の届く範囲に並べ、イヤホンをして、シートの角度を調整して待つ、ということも出来るようになりました。ちなみに点滴中は、お気に入りの中華ポップスが多めのプレイリストを聴いてました♪

そこへ吐き気止めの錠剤を持った担当のナースが来て、持参の飲み物で薬を飲み終えると、素早く点滴のルートを入れてくれます。ま、多少人によって痛い時と痛くない時がありますが、そこは本当に我慢できない時は「痛い!」と言うし、ちょっとした違和感の場合は「ちょっと待っててください」って言って様子を見てから「やっぱり痛い」とか「大丈夫」とか言えるようになりました。

慣れないうちは、痛いけど、こんなもんかな?とか思ってしまうので、途中で痛くなってルートを取り直し、とか大騒ぎになるよりは、「ちょっと待って」は大事だと思いました。3時間の点滴に耐えるわけですから、最初に安心できるようにしておかないと!

点滴用のルートですが、私は同じ月曜の朝一番に採血してもらうことになっていたので、採血は右手、点滴は左手、とナースのアドバイスで決めていました。

採血が無い人は、左右どちらでも取りやすいところから針を入れてもらえるので、痛くないところが見つかりやすいかも(笑)

そしていよいよ点滴…。

イイ感じの角度のシートで、お昼ご飯も食べ、好きな音楽を聴いていると、必ず眠くなるので「ひざ掛け使います?」と聞かれた時は、「絶対に寝てしまうので使います!」と喰いぎみにお願いしてました。聞かれない時もあるので、「しっかり寝る予定なので、ひざ掛け貸して下さい」というのも大事。空調が整いすぎて、寝てしまうと寒いこともあるので。

入院や各種検査での経験や知人の医療関係者たちから言われたことなどから得たのは、「ナースはじめ医療スタッフには甘えましょう」という教訓です。

痛い、痛くない。

しんどい、寒い、暑い、などなど、本人にしか分からないことなので、ちゃんと伝えた方がいろんなことがスムーズに運びます。

どうしても忙しそうなナースにあれこれお願いするのは、なんとなく遠慮がちになってしまいますが、しっかりとこちらの気持ちを伝えることで、結果的にナースたちのお仕事を減らすことになったりします。

自分で出来ることは自分でするのは大事かと思いますが、間違った自己判断に繋がることもあるので、ここぞとばかりにナースやドクターに甘えるのはアリかと、経験上思いました。

それと患者のパワハラモラハラは別なのでご注意下さい(笑)

 

 

 

免疫力の上げ方

中国、中華系が好きです。

文学、歴史、芸術、料理、いろいろな分野で中華系に興味があり、実際に中国各地はもちろん、台湾を始め、影響を受けた中華圏と呼ばれる東南アジア地域も行きました。

チャイナドレス、刺繍靴、雑貨などのコレクションもあります。安物ばっかりですけどね(笑)

美味しい物もたくさん食べてきました。予約必須の有名レストランから、通りすがりの路地裏の食堂、夜市の屋台まで、ピンキリで。

 

今はさすがに気安く旅行に行けませんが、せめての慰めがサブスクの配信で観る、中華ドラマです。

そして、そこからの「推し活」♪

好きなドラマはいくつもありますが、一番好きなドラマは取り敢えず置いておくとして(笑)

中国だけでなく、台湾、タイ、シンガポール、韓国、ブラジル、ヨーロッパなど、それぞれの中華文化圏中心に空前の大ヒットし、ほぼ最後に日本にやってきたのが「イケメンが大渋滞」との前評判にドキドキしたドラマ、『陳情令』です。

初見の時は、いろんな意味で「今の中国はこれほどのドラマを作れるのか~」と感心したものです。

ドラマは難しい内容で、何回も観直し、噛めば噛むほど味が出るスルメ状態で、気が付くとハマっているという恐ろしさ(笑)

あまりにも世界的に大ヒットしたので、各地で大規模なファンミーティングがあったり、コンサートが開催されたり、出演者たちの素顔が観られるバラエティ番組が次々配信されたり、と主役以外の脇役にもライトが当たるような人気作です。

 

まあご存知の方もおられると思うし、詳しい事はネットで検索して下さい(笑)

 

そのうち、主役以外の脇役6人でアイドルグループを組み、各地でカバー曲を歌ったりしていましたが、いつしか「T.U.B.S.」と名乗ってオリジナルソングまで出すようになりました。これがまた…美しいし、可愛いし、歌って踊れる本格的なアイドルなのです。

このT.U.B.S.メンバーが、中国各地はもちろん、タイの中国フェスティバルのアンバサダーになったり、大活躍です。

 

私はこのメンバーの中の、曹煜辰という人が大好きです。

ドラマの中では「孔雀男」と呼ばれた、いけ好かない金子軒役を演じていましたが、ファンミのPR番組や、コンサートのバックステージで観られる普段の曹煜辰が、ちょっと天然でドジっ子で可愛くて堪りません。シリアスなお芝居をしている時の近寄りがたい気品やカッコ良さとの、まさにコレ「ギャップ萌え」です。

そんな彼のSNSをフォローしたり、ネット上に公開している画像でマスコットを手作りしては、1人ドキドキ・ワクワクして楽しんでおります。

彼の麗しいお顔や、カワイイ仕草などで、本当に心が癒されます。

 

こんなウキウキした気持ちこそ、免疫力を上げてるんだな~と信じています。

いつか本物の曹煜辰(私の中での呼び方は「王子」)に会えるのを夢見て、私は免疫を上げていきます!

 

↓後列左側が「王子」。前列の2人は8月についに来日です!

 

↓右から2人目が「王子」

 

ドクターと私③

前回からの続き。

 

意識障害が出て、特別室でみんなにチヤホヤされて、楽しい入院生活を送っていましたが、毎朝面倒くさいことが…。

「おはようございます。今日は何月何日ですか~?」

「おはようございます。ここがどこか分かりますか~?」

分かるやろ、普通…と思うのですが、日付のほうは入院中はカレンダーも無いし、そもそもウヤムヤだったんですけど(笑)毎日聞かれるのに、今日が「いつ」だか分かりませんでした。なんか自分でもちょっとコワかった…。

一方で「どこ」の方はしっかりしていて、毎回よく出来ました~という感じで、聞きに来るドクターも満足そうな笑顔でした♪

 

やがて特別室から相部屋に戻りました。今度は明るい窓側のベッドで、お外の景色も良く見えてご機嫌です。相変わらずすることは無いのですが、外を見ているだけでも楽しかったです。

この頃から味覚異常が出始め、病院食が食べられなくなりました。ホント、ご飯と梅干一個だけで終わり…という日も多かったです。

一応出された物は一通り味見をしてみるのですが、気持ち悪くなって食べられないものが多かったです。とくに甘味に対して異常が見られ、野菜やお肉などは甘味しか感じられない…という感じで気持ち悪くなりました。あと出汁などの旨味成分も、苦手になりました…。今でも味覚異常は続いています。

 

ちょうど入院していた頃は、研修医とかナースの実習とかで若くて初々しい人たちがうろついていました。(言い方!

学生ナースは検温とか、血圧計測とか無難なことしかしないので、可愛いな~って感じだったのですが…。

大学病院なので医学部学生の実習に付き合わされるのは仕方が無いと思いますが…。

 

1人目は、たかが採血のために何回針を刺しますか~?ソコ間違ってるのでとっても痛いです~っの繰り返し…。

本人はどんどん焦っていくのがコチラにも伝わるし、気まずい空気に耐えられなくなったのか

「〇〇先生を呼んできます!(多分、自身の指導医で私の知らないドクター)」と言い残すと、病室から飛び出して行ってしまいました…。

茫然と取り残された私に、ちょうど通りかかったナースが、

「あれ?採血は?」

「なんか~先生を呼んでくるって、出て行かれましたけど?」

「え?まだ終わってないの⁉」

と、ビックリするような「事件」でした(笑)

結局〇〇先生は、自分の教え子には無理だと判断したのか、ナースに後を頼んで去って行かれたのでした…。彼はあとで○○先生に叱られたのかなあ?

 

もう一人の印象的な研修医さんは、朝から妙に明るい笑顔で

「どうですか~?よく寝られましたか~?体調はどうですか~?」

と登場!

「イイ感じですよ~。今日の日付も~(実は直前にスマホで確認しておいた)(笑)」

と、私が適当に応じると

意識障害ってありますけど…、ボクとはちゃんとコミュニケーション取れてますよね~」

「……」

いやアナタとは初対面で、私は礼儀として応じているだけで…、あの、その…。

(馴れ馴れしいんじゃ!)

ちょっとだけイラっとしてしまった私は、

「ココがどこか分かりますよね」

と言われて

左京区。道を渡ったら上京区

と、逆に相手を混乱させてやりましたぜ~(笑)

この話をすると、みんな「(研修医の方が)可哀想~」と言いますが~(笑)

 

こんな風に、いろんなドクターやナース、さまざまな医療スタッフに助けられ、初めての入院生活は、延長+延長を繰り返し、3日間だったはずが、2/6~2/27まで続きました。

 

 

《めでたし、めでたし》

…かな?



 

ドクターと私②

前回の続きです。

 

取り敢えず明日から入院、となった直前の外来で、私のお気に入りとなったD先生は、珍しく笑顔で診察室で迎えて下さいました。(むしろアヤシイ…)(笑)

 

「いや~、ボクもビックリしました!」

 

と、いうのも前回余命1ヶ月と告知したものの、私の様子やら何やら、気になることがあったのに違いないと(私は思っておりますが)、前の病院での検査結果やら何やらを再検討し、D先生のところにある私から採取した生検など合わせて再確認して下さったそうです。

 

その結果!

 

なんと私を蝕んでいる癌は、「余命1カ月で、コレという効果的な治療法の無い癌」ではなく、それとそっくりな「進行がゆっくりで、様々な治療法が試せる癌」と判明。

「そっくりなんで、どの医療機関でも間違いやすいんです」

と、誤診ではないことを強調するD先生。

そんなことはなさいませんけど、ほぼ「テヘペロ」状態でした。

 

まあ、余命1ヶ月なんて私は最初から信じて無かったので、「やっぱりな~」としか思いませんでしたけど(笑)

 

そんなこんなで、2/6から3日間の検査入院の予定が、さっそく抗癌剤治療入院となり、私の生まれて初めての入院生活がスタートするのでした~!

 

2月のこの時期、まだ病棟内はコロナ感染防止のため、面会など一切禁止でした。差し入れもナースステーションまでで、知らない人ばかりの中、とっても心細い入院となりましたが、そこはムダにポジティブな私。ベッドの周りのカーテンも感染予防から閉めて下さいと言われたのをいいことに、好きなだけ寝て、中華ポップスを聴きまくり、のんびり過ごしておりましたが…。

ある時、突然に足元がふらついたり、分かり切ったことが分からなくなったり、スマホのメールなどの文字が打てなくなったり、と変なことになってきました。

自分では原因が全然分からなかったのですが、後から聞くと抗癌剤の副作用で体内のアンモニア値が増加。そのせいで意識障害が起きていたらしいです。

まだ私があんまり自覚していない時点で、すでに採血の結果などでドクターたちは察知していたようです。

私はそんな事とはつゆ知らず、長時間のIR検査で疲れたんだ~と思い込んでいましたが、検査後の嘔吐や意識朦朧となったことで、特別室、というかナースステーションのお隣のお部屋に移動になりました。

 

ここでは、もう何がなんやら分からない状態でした。

 

3日間の入院の予定が

「こんな状態では帰せないからね」

と、病棟担当医のS先生に言われ、主治医のD先生も

「もう少し、様子を見ましょうか」

とのことで、取り敢えず入院は1週間に伸びてしまいました。

3日間の入院のつもりだったので、着替えなどが足りなくなってきて、無理に差し入れをさせた皆様に、改めて心から感謝です♪

まーくん、あっちゃん、ありがとう☆彡

 

ただ意識朦朧としていたこの時に、入院の延長で着替えなどが足りなくなって

「どんな入院の準備をしてきたのよ!何も無いやん!」

と、怒鳴ってたナースが1人いましたが、名前も顔も覚えていないのが残念です(笑)

この方以外は、ドクターはじめ全ての医療関係者は親切で丁寧でした♪

 

 

《つづく》

多分、次回でこのタイトルは終わり…?

 

 

 

 

ドクターと私①

1年位前から、疲れやすくなったな~とは思っていたのですが、去年の夏くらいから立つのもやっと、というくらいに弱ってきて、体重も激減していきました。

わりと体力が必要なお仕事(でも契約職員)だったので、苦しくて退職しました。

 

その後、少し休んで11月から再就職したのですが、その就職先がまたいろいろ大変で(山頂まで30分以上歩いて登山していた…)、11月に就職・研修を終えての、かき入れ時の12月にほとんどお休みしてしまい…。(大ヒンシュクだったと思うけど、職場の皆さんは優しかった)

 

ついに年末に、普段のかかりつけ医から「一度大きな病院で検査受けて見たら~❓」と薦められて、大学病院の予約を入れてもらいました。

 

※かかりつけ医から大学病院などを紹介してもらうと、初診料が無料、もしくは割引になりますよ!いきなり大きな病院へ診察、検査などに行くと、初診料が必要なのに加えて、手続きなどで診察が予約者の後に回されたりするので、すんごく待つことになってグッタリすることになるかもしれません。日頃から、近所のかかりつけ医とのコミュニケーションはしっかりと取っておくのが大事だと、経験上思いました。ご参考までに…。

予約でもかなり待たされますが(泣)

 

閑話休題

 

年末に大学病院の予約を入れてもらいましたが、初診は1月15日。

そこから検査、検査で週に何回も大学病院に通うことになり、疲れてしまい、せっかく再就職した「お山」も退職しました。

その後は治療に専念することになりました。そして…。

毎週の外来診察の担当をして下さることになったのが、今の主治医D先生。すごく真面目で、きっちりしている先生ですが、真面目過ぎてちょっと天然な感じを醸し出している先生です。

 

どのくらい天然かというと、まだ数回しか会ったこともない2月最初の診察(信頼関係が出来ていない)にも関わらず、診察室で向き合った時に割と唐突に

「検査の結果、ステージ4の癌です。まあ3月までかと…」

と言い切ってしまうほど。

 

いや、いいですけど、言い方ってものがあるんじゃないですか~?

 

自分がそんな「状態」だと全然信じていなかった私は

「今月、私のお誕生月やのに、こんなプレゼントいらんわ~」

と笑い飛ばしたのでした。(無駄にポジティブだから…)(笑)

ちなみに、この私の発言に対するD先生の対応は

「そうなんですね。おめでとうございます」

でした(笑)

いや、めでたくは無いでしょう(笑)

 

もうここまで来ると、ちょっとD先生が可愛らしく感じられて、この先生について行こう、と何故か思ったのでした。

 

《つづく》

 

取り敢えず、書いてみる…( ´艸`)

このブログの準備は、かなり前からしていたのですが、最初になにから始めるかに悩んでしまい、ずっと放置しておりました(笑)

 

時系列順に並べる、とか。

詳細な病名や、正確な治療薬の名前を並べる、とか。

いろいろ考えこんでしまいましたが、ズルズル先延ばしになるばかりなので、取り敢えずスタートします。

 

基本的に私の治療日記となりますが、無駄にポジティブな病人の、楽しい日常もご紹介します。

55歳1人暮らしのステージ4の癌患者が、どんな風にすごしているのか、面白がっていただけたら嬉しいです。

 

よろしくお願いいたします。