これまでとこれから

いきなり癌のステージⅣと宣告された私の毎日

ドクターと私②

前回の続きです。

 

取り敢えず明日から入院、となった直前の外来で、私のお気に入りとなったD先生は、珍しく笑顔で診察室で迎えて下さいました。(むしろアヤシイ…)(笑)

 

「いや~、ボクもビックリしました!」

 

と、いうのも前回余命1ヶ月と告知したものの、私の様子やら何やら、気になることがあったのに違いないと(私は思っておりますが)、前の病院での検査結果やら何やらを再検討し、D先生のところにある私から採取した生検など合わせて再確認して下さったそうです。

 

その結果!

 

なんと私を蝕んでいる癌は、「余命1カ月で、コレという効果的な治療法の無い癌」ではなく、それとそっくりな「進行がゆっくりで、様々な治療法が試せる癌」と判明。

「そっくりなんで、どの医療機関でも間違いやすいんです」

と、誤診ではないことを強調するD先生。

そんなことはなさいませんけど、ほぼ「テヘペロ」状態でした。

 

まあ、余命1ヶ月なんて私は最初から信じて無かったので、「やっぱりな~」としか思いませんでしたけど(笑)

 

そんなこんなで、2/6から3日間の検査入院の予定が、さっそく抗癌剤治療入院となり、私の生まれて初めての入院生活がスタートするのでした~!

 

2月のこの時期、まだ病棟内はコロナ感染防止のため、面会など一切禁止でした。差し入れもナースステーションまでで、知らない人ばかりの中、とっても心細い入院となりましたが、そこはムダにポジティブな私。ベッドの周りのカーテンも感染予防から閉めて下さいと言われたのをいいことに、好きなだけ寝て、中華ポップスを聴きまくり、のんびり過ごしておりましたが…。

ある時、突然に足元がふらついたり、分かり切ったことが分からなくなったり、スマホのメールなどの文字が打てなくなったり、と変なことになってきました。

自分では原因が全然分からなかったのですが、後から聞くと抗癌剤の副作用で体内のアンモニア値が増加。そのせいで意識障害が起きていたらしいです。

まだ私があんまり自覚していない時点で、すでに採血の結果などでドクターたちは察知していたようです。

私はそんな事とはつゆ知らず、長時間のIR検査で疲れたんだ~と思い込んでいましたが、検査後の嘔吐や意識朦朧となったことで、特別室、というかナースステーションのお隣のお部屋に移動になりました。

 

ここでは、もう何がなんやら分からない状態でした。

 

3日間の入院の予定が

「こんな状態では帰せないからね」

と、病棟担当医のS先生に言われ、主治医のD先生も

「もう少し、様子を見ましょうか」

とのことで、取り敢えず入院は1週間に伸びてしまいました。

3日間の入院のつもりだったので、着替えなどが足りなくなってきて、無理に差し入れをさせた皆様に、改めて心から感謝です♪

まーくん、あっちゃん、ありがとう☆彡

 

ただ意識朦朧としていたこの時に、入院の延長で着替えなどが足りなくなって

「どんな入院の準備をしてきたのよ!何も無いやん!」

と、怒鳴ってたナースが1人いましたが、名前も顔も覚えていないのが残念です(笑)

この方以外は、ドクターはじめ全ての医療関係者は親切で丁寧でした♪

 

 

《つづく》

多分、次回でこのタイトルは終わり…?