これまでとこれから

いきなり癌のステージⅣと宣告された私の毎日

抗癌剤治療のこと④ついに最終兵器化(笑)

前回からの続きで、ルタテラ治療のおさらいから…。

 

①ルタテラの治療は、「受容体」を持つ癌にしか効果が無い。

②治療を受けることで被曝し、周囲に放射線の影響を与える。

③全部で4回の治療入院をしなければならない。

④入院中は隔離状態なので、自分のことは自分でできないといけない。

などなど…。

 

※もし、これから実際に同じ治療をお受けになる人には、ちゃんとドクターからの説明があるので、⇑これだけで簡単に決断しないでくださいね(笑)

 

さて、問題は入院中ではなく、退院してからでした。

私は1人暮らしなので、誰に気を使うことも無く、静かに自宅で引きこもっていればいいだけだったので、そんなに困るようなことはありませんでした。もともと引きこもりがちな人なので、家でじっとしているのは苦痛ではないので(笑)

でも出掛ける気が無いから出ない、というのと、出てはいけないという状況では、ちょっとストレスが違って…。

誰かに接触すれば被曝させちゃう、最終兵器と化した私は、1人で買い置きしておいた味の合わない冷食やレトルトやお惣菜でさらにストレスを溜めるのでした…。

 

副作用は、もらった治療説明のパンフレットに記載されていた範囲内で、しかもそんなに苦しい物は出ていません。

前の抗癌剤治療の時からの味覚異常はそのままで、倦怠感などもありますが、いまのところそんなに不自由はしていません。(まあ、一人暮らしだからいつでもゴロゴロ横になれるっていうのもあると思いますが)(笑)

唯一、イヤな副作用だな~と思っているのが「悪心」と呼ばれるもので、嘔吐はしないのに嘔吐感があり、胸がムカムカ・モヤモヤすることです。ひどい時は、ご飯も食べられないので、無理せず果物やゼリー、ジュースなどで誤魔化したりしていましたが、ルタテラ治療後の初めての担当医M先生の診察でこのことを訴えると、「お守り代わりに」と言われて吐き気止めを出してもらいました。これで安心…かなあ(笑)?

 

この自宅隔離の間、友達には「私と会うと被曝する」というギャグ(?)を飛ばしまくっていたので、そこから最終兵器ネタで笑いに変えていたので、ムカムカも誰にも会えない孤独感も乗り越えられました(笑)

 

この先、大きな副作用が出る可能性(脱毛や腎臓疾患、白血病の発症など)は無いわけではありませんが、今はなんとか笑って誤魔化せる程度なので、あと3回のルタテラの治療は頑張って受けたいと思います。でもムカムカ・モヤモヤするのって地味にしんどいですけど…。

 

ただ、M先生に出してもらった吐き気止めのお薬ですが…。薬剤師さんの説明によるとお薬の効果が出るまでに15分くらいかかるので、気持ち悪くなる15分前にお薬を飲んだ方がイイとのことです…。

え?今から15分後に気持ち悪くなるって、誰が分かるの???

結局、いつ飲んだらいいのか分かりにくくて、今のところ温存してあります(笑)

 

上記の通り、副作用も地味なものだけで、データ的にも悪くなかったようなので、年内あと3回のルタテラの治療は続けられることになりました。もともと4セットの治療なので、どうせなら最後まで全部受けたいな~と思っています。

多分、この感じだとよほど数値の異常が出たり、激しい副作用が出ない限りはルタテラさんのお世話になれそうです♪

そしていい結果を出して、みんなをビックリさせないと!

 

今後の治療経過もご報告しますので、ご期待ください(笑)

 

 

↓ 監視カメラ付きの個室

 

↓ 個室のドアには危険なマーク!


↓ 個室の前室。左下の小さい冷蔵庫の上にご飯を置いてもらう。

 

↓ 個室のベッド。テレビと冷蔵庫も完備しています。血圧と体温は自分で計測。

 

↓ ご飯の配達時、このドームの中へ入れと指示される(笑)

 

↓ 退院時、持ち込んだものは、ほとんどここでお別れ。

 

抗癌剤治療のこと③最新治療を受けてきました!

なんだかんだあって、5月16日に主治医のD先生オススメの最新治療にチャレンジすることになりました。

事前の準備がいろいろあるのですが、まずはどんな治療かというと…。

 

点滴されるのは「ルタテラ」というお薬です。

癌治療は日進月歩と言われて久しいので、2か月以上前から「最新治療」と言われているルタテラはすでに「最新」では無いかもしれません(笑)

やることは、月曜日恒例の抗癌剤点滴と同じような感じ。

事前に飲み薬を飲んだり、点滴のラインを入れたりします。

あとは個人ごとに区切られたブースに入り、シートに座ったら点滴開始。約4時間の点滴です。途中、飲み物だけは摂取できます。

私は、途中、痛みとか、不快感とか全然なくて、「晩ご飯、何かな~」とかお気楽なことを考えつつ、いつもと同じチャイナポップを聴いて、うつらうつらしてました。

 

この間に体内に入ったルタテラの「兄貴」は、癌細胞にくっついている受容体という「弟分」に、「兄貴~、こっちですぜ~。コイツが悪者ですぜ~」と誘導され、癌という「悪者」をピンポイントでやっつけてくれるのでした(笑)

※あくまでもイメージです。

 

他の放射線治療のように健康な臓器まで傷つける心配も無いし、何よりも点滴だけなので手術ほど負担にならないのが、私には合ってるかな~って思っています。

 

ここまでだと、なんだ~ルタテラの治療って効果があるのに、ラクなのね~と思われるかもしれません(笑)

 

しかし、ルタテラさんは厄介な特性を持っており、これがたがだか1泊2日の入院なのに大騒ぎする原因なのです。

ルタテラの治療を受けると、体内へ放射線を投与することになり、投与された私の体から放射線が放出され、周囲を被曝させてしまうのです!

なので、事前に点滴後に1泊する「隔離室」の使い方とか、過ごし方とかを事前に説明するためのオリエンテーションを受けました。

 

隔離室は監視カメラ付きで、ナースら医療関係者も基本的に部屋に入っては来られません。やりとりは、ベッドの脇にある内線電話を使います。

隔離室はそれぞれ個室で(今回は私ともう1人)、一般の医療関係者も通る廊下から重いドアを開けてもらうと、手前に前室があり、さらにその向こうのドアの内側が個室になります。

個室はベッドとテレビ台でいっぱいって感じの、格安ビジネスホテルみたいです(笑)監視カメラから見えない位置に洗面所とトイレがあります。

一度この部屋に持ち込んだものは、原則持ち出せないことになっているので(スマホとかはOK)、お部屋に何があるか分からない状態だった初回の今回は、ペンやヘアブラシ、歯ブラシ、お薬用のシェイカーやそれを洗うスポンジも、全部捨てて帰りました。

どれもこれも今や「危険物」なのね~と複雑な気持ちでした。

隔離室内では、治療着を着るので、前の入院で差し入れてもらった可愛いパジャマなどは持ち込めませんでした。うっかり持ち込んだら、廃棄処分しないと退院できないし…(泣)持ち込めないものは、外の更衣室のロッカーに預けることになります。

 

点滴後一晩観察され、翌朝に担当医から放射線の計測をされます。私の場合は「ちょっと高めですが、基準値内です」ということで退院を許可されました。頑張ってお茶やらお水やら飲んでトイレに行ったかいがあるというものです(笑)腎臓に放射性物質が溜まりやすいので、なるべく早く排出しないといけないんだそうです。

 

お食事は、点滴後(※点滴の日は昼食抜き)の夜と翌朝の2回出ました。事前に内線電話があって、献立を教えてもらい、食べられそうかどうか聞かれます。食品ロスというよりは私が触れたものは全て汚染され、危険物として廃棄処分となるからです。余計な危険ゴミを出さないよう、食べられるだけを提供してもらえる、ということです。

私はメニューよりも量の方が問題な人なので、取り敢えず全部半分の量にして下さいとお願いして、見事完食いたしました!味は…よく覚えてない(笑)

 

 

《つづく》

↓ 点滴用のラインをいれてもらいました。やだ~腕が太く見えてる~。

 

↓ 点滴ルーム。個室というより、簡単な壁に囲まれただけって感じ。


↓ 点滴中。向こうには放射線避けのエプロンがいっぱい!

 

↓ 点滴後の晩ご飯。容器は自分で洗います。意外とチキンが美味しかった♪

 

↓ 朝ご飯。なんでも半分だけにしてもらいました。左上のは缶詰のミカン。

 

↓ お腹空いて困った時用に持ち込んだオヤツ。余分に持ち込むと捨てることに…。

 

 

抗癌剤治療のこと②抗癌剤の変更

毎週月曜日の3時間点滴を3月いっぱい続けて、それは4月1日のことでした。

 

以前から、「今の治療(3時間点滴)は、どの癌でも誰でも出来る治療だから3ヶ月続けたら、少し休んで他の治療法も考えましょう」とか言われたので、緩めの治療だから副作用もあんまりないのかな~と呑気に考えていました。

点滴した当日(月曜日)は割と平気で、それよりも水曜とか木曜に倦怠感とか来るのが多かったです。お天気によっては火曜もしんどかったけど。

 

その時に、「かなり良い効果がでる最新治療があって、いろいろ条件はあるけど目覚ましい結果がでてるから…」と、(今のところ)大学病院でしか受けられない最新治療の話をD先生から聞いていました。「ただ、成果が出るだけに希望者が多くて、なかなか順番が回って来ない」とのことでした。じゃあ、(余命一ヶ月じゃなくなったおかげで)いろいろ試すことが出来るし、いつか順番が回って来るのを待ちますわ~。とか、またいつも通り気楽なお返事をしていたのです。

 

が、しかし!

4月1日のこの日、D先生がいきなり「例の治療法にキャンセル出たけど、受けてみる?」と言い出したのです。「治療を受けた人からは、いい結果が出てるけど、まだ新しい治療法なのでいろいろ条件がありますけど、どうですか?」と聞かれました。《何年も順番待ちしないといけない、画期的な成果が出る治療法》と言われて、それがこんなに早く受けられるなんて、恐ろしいほどの強運です。私ってそういうトコがあるんだな~(笑)

確かに、条件はいろいろあったし(治療できる癌とそうでない癌があるというのもひとつ)、強い放射線治療になるので監視カメラ付きの特別室での隔離入院であるのもそう。なんか大げさなことになってきたぞ、と思いながらも、効果が出るならその方がいいよね、と、その場で治療を受けることを同意したのです。もちろん真面目なD先生のことなので、メリットだけでなくデメリットも説明してくれましたが、「今の治療ではこの辺が限界かなと思います。しばらく数値的にも横ばいなので。このまま横ばいでも余命5年はいけますが、今の治療を中断しても今度の最新治療は受ける価値があります」とまで言い切られたので、よっしゃ頑張るで~!と決意を新たにしました(笑)

この時にD先生は、深い意味は無くおっしゃったのかもしれませんが「僕と(生存)20年を目指しましょう」と言われたので、最低でも今から20年は生きてやろうと思った次第です。←単純(笑)

そして、詳しくはまた来週…となったところでハッと気づいたのですが、この日は4月1日…エイプリルフールの日でした(笑)←いや、D先生のお茶目な冗談ではありません。本当に最新治療を受けるお話です。

結局、毎週月曜の点滴は4月いっぱいまでとなり、5月からは新しい治療に向けての準備が始まりました。

 

《つづく》

 

 

 

 

 

抗癌剤治療のこと①

さて、ステージ4の癌ということで、治療をするわけですが…。

イマドキは、胃癌とか大腸がんとかでも、発見が早ければ内視鏡で、そうでなくても外科手術で取ってしまえば割とラクに済むらしいですね。

でも残念ながら私は化学療法しか選択肢は無いと、主治医のD先生から言われたので、じゃあそうしますか~(笑)って感じで決まりました。(他に選択肢ないのに、グズグズ悩んでても時間のムダだと思って…)

そこから週に一度、点滴で抗癌剤を投与する治療が始まりました。

 

まずは午前中に採血とD先生の診察。今日の抗がん剤治療はOKですよ~というお墨付きを貰って、別の建物にある化学療法の処置室へ。そこで事前の飲み薬から点滴終了後の休憩まで込みで、約3時間の治療です。

でもね、この時間、キライじゃなかったです(笑)

 

D先生の診察後、院内コンビニか大学生協で、飲み物とお弁当(時にはオヤツも)を買って点滴室に向かいます。基本的に引きこもり生活なので、たまのコンビニ弁当とかがちょっとした楽しみだったのです~♪(私にはぜいたく品)(笑)

点滴しながらの飲食OKだったので、慣れてくると自分の点滴用シートのブースに入るなり、食べ物。飲み物を手の届く範囲に並べ、イヤホンをして、シートの角度を調整して待つ、ということも出来るようになりました。ちなみに点滴中は、お気に入りの中華ポップスが多めのプレイリストを聴いてました♪

そこへ吐き気止めの錠剤を持った担当のナースが来て、持参の飲み物で薬を飲み終えると、素早く点滴のルートを入れてくれます。ま、多少人によって痛い時と痛くない時がありますが、そこは本当に我慢できない時は「痛い!」と言うし、ちょっとした違和感の場合は「ちょっと待っててください」って言って様子を見てから「やっぱり痛い」とか「大丈夫」とか言えるようになりました。

慣れないうちは、痛いけど、こんなもんかな?とか思ってしまうので、途中で痛くなってルートを取り直し、とか大騒ぎになるよりは、「ちょっと待って」は大事だと思いました。3時間の点滴に耐えるわけですから、最初に安心できるようにしておかないと!

点滴用のルートですが、私は同じ月曜の朝一番に採血してもらうことになっていたので、採血は右手、点滴は左手、とナースのアドバイスで決めていました。

採血が無い人は、左右どちらでも取りやすいところから針を入れてもらえるので、痛くないところが見つかりやすいかも(笑)

そしていよいよ点滴…。

イイ感じの角度のシートで、お昼ご飯も食べ、好きな音楽を聴いていると、必ず眠くなるので「ひざ掛け使います?」と聞かれた時は、「絶対に寝てしまうので使います!」と喰いぎみにお願いしてました。聞かれない時もあるので、「しっかり寝る予定なので、ひざ掛け貸して下さい」というのも大事。空調が整いすぎて、寝てしまうと寒いこともあるので。

入院や各種検査での経験や知人の医療関係者たちから言われたことなどから得たのは、「ナースはじめ医療スタッフには甘えましょう」という教訓です。

痛い、痛くない。

しんどい、寒い、暑い、などなど、本人にしか分からないことなので、ちゃんと伝えた方がいろんなことがスムーズに運びます。

どうしても忙しそうなナースにあれこれお願いするのは、なんとなく遠慮がちになってしまいますが、しっかりとこちらの気持ちを伝えることで、結果的にナースたちのお仕事を減らすことになったりします。

自分で出来ることは自分でするのは大事かと思いますが、間違った自己判断に繋がることもあるので、ここぞとばかりにナースやドクターに甘えるのはアリかと、経験上思いました。

それと患者のパワハラモラハラは別なのでご注意下さい(笑)

 

 

 

免疫力の上げ方

中国、中華系が好きです。

文学、歴史、芸術、料理、いろいろな分野で中華系に興味があり、実際に中国各地はもちろん、台湾を始め、影響を受けた中華圏と呼ばれる東南アジア地域も行きました。

チャイナドレス、刺繍靴、雑貨などのコレクションもあります。安物ばっかりですけどね(笑)

美味しい物もたくさん食べてきました。予約必須の有名レストランから、通りすがりの路地裏の食堂、夜市の屋台まで、ピンキリで。

 

今はさすがに気安く旅行に行けませんが、せめての慰めがサブスクの配信で観る、中華ドラマです。

そして、そこからの「推し活」♪

好きなドラマはいくつもありますが、一番好きなドラマは取り敢えず置いておくとして(笑)

中国だけでなく、台湾、タイ、シンガポール、韓国、ブラジル、ヨーロッパなど、それぞれの中華文化圏中心に空前の大ヒットし、ほぼ最後に日本にやってきたのが「イケメンが大渋滞」との前評判にドキドキしたドラマ、『陳情令』です。

初見の時は、いろんな意味で「今の中国はこれほどのドラマを作れるのか~」と感心したものです。

ドラマは難しい内容で、何回も観直し、噛めば噛むほど味が出るスルメ状態で、気が付くとハマっているという恐ろしさ(笑)

あまりにも世界的に大ヒットしたので、各地で大規模なファンミーティングがあったり、コンサートが開催されたり、出演者たちの素顔が観られるバラエティ番組が次々配信されたり、と主役以外の脇役にもライトが当たるような人気作です。

 

まあご存知の方もおられると思うし、詳しい事はネットで検索して下さい(笑)

 

そのうち、主役以外の脇役6人でアイドルグループを組み、各地でカバー曲を歌ったりしていましたが、いつしか「T.U.B.S.」と名乗ってオリジナルソングまで出すようになりました。これがまた…美しいし、可愛いし、歌って踊れる本格的なアイドルなのです。

このT.U.B.S.メンバーが、中国各地はもちろん、タイの中国フェスティバルのアンバサダーになったり、大活躍です。

 

私はこのメンバーの中の、曹煜辰という人が大好きです。

ドラマの中では「孔雀男」と呼ばれた、いけ好かない金子軒役を演じていましたが、ファンミのPR番組や、コンサートのバックステージで観られる普段の曹煜辰が、ちょっと天然でドジっ子で可愛くて堪りません。シリアスなお芝居をしている時の近寄りがたい気品やカッコ良さとの、まさにコレ「ギャップ萌え」です。

そんな彼のSNSをフォローしたり、ネット上に公開している画像でマスコットを手作りしては、1人ドキドキ・ワクワクして楽しんでおります。

彼の麗しいお顔や、カワイイ仕草などで、本当に心が癒されます。

 

こんなウキウキした気持ちこそ、免疫力を上げてるんだな~と信じています。

いつか本物の曹煜辰(私の中での呼び方は「王子」)に会えるのを夢見て、私は免疫を上げていきます!

 

↓後列左側が「王子」。前列の2人は8月についに来日です!

 

↓右から2人目が「王子」

 

ドクターと私③

前回からの続き。

 

意識障害が出て、特別室でみんなにチヤホヤされて、楽しい入院生活を送っていましたが、毎朝面倒くさいことが…。

「おはようございます。今日は何月何日ですか~?」

「おはようございます。ここがどこか分かりますか~?」

分かるやろ、普通…と思うのですが、日付のほうは入院中はカレンダーも無いし、そもそもウヤムヤだったんですけど(笑)毎日聞かれるのに、今日が「いつ」だか分かりませんでした。なんか自分でもちょっとコワかった…。

一方で「どこ」の方はしっかりしていて、毎回よく出来ました~という感じで、聞きに来るドクターも満足そうな笑顔でした♪

 

やがて特別室から相部屋に戻りました。今度は明るい窓側のベッドで、お外の景色も良く見えてご機嫌です。相変わらずすることは無いのですが、外を見ているだけでも楽しかったです。

この頃から味覚異常が出始め、病院食が食べられなくなりました。ホント、ご飯と梅干一個だけで終わり…という日も多かったです。

一応出された物は一通り味見をしてみるのですが、気持ち悪くなって食べられないものが多かったです。とくに甘味に対して異常が見られ、野菜やお肉などは甘味しか感じられない…という感じで気持ち悪くなりました。あと出汁などの旨味成分も、苦手になりました…。今でも味覚異常は続いています。

 

ちょうど入院していた頃は、研修医とかナースの実習とかで若くて初々しい人たちがうろついていました。(言い方!

学生ナースは検温とか、血圧計測とか無難なことしかしないので、可愛いな~って感じだったのですが…。

大学病院なので医学部学生の実習に付き合わされるのは仕方が無いと思いますが…。

 

1人目は、たかが採血のために何回針を刺しますか~?ソコ間違ってるのでとっても痛いです~っの繰り返し…。

本人はどんどん焦っていくのがコチラにも伝わるし、気まずい空気に耐えられなくなったのか

「〇〇先生を呼んできます!(多分、自身の指導医で私の知らないドクター)」と言い残すと、病室から飛び出して行ってしまいました…。

茫然と取り残された私に、ちょうど通りかかったナースが、

「あれ?採血は?」

「なんか~先生を呼んでくるって、出て行かれましたけど?」

「え?まだ終わってないの⁉」

と、ビックリするような「事件」でした(笑)

結局〇〇先生は、自分の教え子には無理だと判断したのか、ナースに後を頼んで去って行かれたのでした…。彼はあとで○○先生に叱られたのかなあ?

 

もう一人の印象的な研修医さんは、朝から妙に明るい笑顔で

「どうですか~?よく寝られましたか~?体調はどうですか~?」

と登場!

「イイ感じですよ~。今日の日付も~(実は直前にスマホで確認しておいた)(笑)」

と、私が適当に応じると

意識障害ってありますけど…、ボクとはちゃんとコミュニケーション取れてますよね~」

「……」

いやアナタとは初対面で、私は礼儀として応じているだけで…、あの、その…。

(馴れ馴れしいんじゃ!)

ちょっとだけイラっとしてしまった私は、

「ココがどこか分かりますよね」

と言われて

左京区。道を渡ったら上京区

と、逆に相手を混乱させてやりましたぜ~(笑)

この話をすると、みんな「(研修医の方が)可哀想~」と言いますが~(笑)

 

こんな風に、いろんなドクターやナース、さまざまな医療スタッフに助けられ、初めての入院生活は、延長+延長を繰り返し、3日間だったはずが、2/6~2/27まで続きました。

 

 

《めでたし、めでたし》

…かな?



 

ドクターと私②

前回の続きです。

 

取り敢えず明日から入院、となった直前の外来で、私のお気に入りとなったD先生は、珍しく笑顔で診察室で迎えて下さいました。(むしろアヤシイ…)(笑)

 

「いや~、ボクもビックリしました!」

 

と、いうのも前回余命1ヶ月と告知したものの、私の様子やら何やら、気になることがあったのに違いないと(私は思っておりますが)、前の病院での検査結果やら何やらを再検討し、D先生のところにある私から採取した生検など合わせて再確認して下さったそうです。

 

その結果!

 

なんと私を蝕んでいる癌は、「余命1カ月で、コレという効果的な治療法の無い癌」ではなく、それとそっくりな「進行がゆっくりで、様々な治療法が試せる癌」と判明。

「そっくりなんで、どの医療機関でも間違いやすいんです」

と、誤診ではないことを強調するD先生。

そんなことはなさいませんけど、ほぼ「テヘペロ」状態でした。

 

まあ、余命1ヶ月なんて私は最初から信じて無かったので、「やっぱりな~」としか思いませんでしたけど(笑)

 

そんなこんなで、2/6から3日間の検査入院の予定が、さっそく抗癌剤治療入院となり、私の生まれて初めての入院生活がスタートするのでした~!

 

2月のこの時期、まだ病棟内はコロナ感染防止のため、面会など一切禁止でした。差し入れもナースステーションまでで、知らない人ばかりの中、とっても心細い入院となりましたが、そこはムダにポジティブな私。ベッドの周りのカーテンも感染予防から閉めて下さいと言われたのをいいことに、好きなだけ寝て、中華ポップスを聴きまくり、のんびり過ごしておりましたが…。

ある時、突然に足元がふらついたり、分かり切ったことが分からなくなったり、スマホのメールなどの文字が打てなくなったり、と変なことになってきました。

自分では原因が全然分からなかったのですが、後から聞くと抗癌剤の副作用で体内のアンモニア値が増加。そのせいで意識障害が起きていたらしいです。

まだ私があんまり自覚していない時点で、すでに採血の結果などでドクターたちは察知していたようです。

私はそんな事とはつゆ知らず、長時間のIR検査で疲れたんだ~と思い込んでいましたが、検査後の嘔吐や意識朦朧となったことで、特別室、というかナースステーションのお隣のお部屋に移動になりました。

 

ここでは、もう何がなんやら分からない状態でした。

 

3日間の入院の予定が

「こんな状態では帰せないからね」

と、病棟担当医のS先生に言われ、主治医のD先生も

「もう少し、様子を見ましょうか」

とのことで、取り敢えず入院は1週間に伸びてしまいました。

3日間の入院のつもりだったので、着替えなどが足りなくなってきて、無理に差し入れをさせた皆様に、改めて心から感謝です♪

まーくん、あっちゃん、ありがとう☆彡

 

ただ意識朦朧としていたこの時に、入院の延長で着替えなどが足りなくなって

「どんな入院の準備をしてきたのよ!何も無いやん!」

と、怒鳴ってたナースが1人いましたが、名前も顔も覚えていないのが残念です(笑)

この方以外は、ドクターはじめ全ての医療関係者は親切で丁寧でした♪

 

 

《つづく》

多分、次回でこのタイトルは終わり…?